神林 浩子氏
一般社団法人日本テーブル茶道協会 会長
『自信のなかった私の背中を押してくれた恩人』
- 出版プロデューサー 晴山陽一について
- 『本を出すことがその道の第一人者の証明になると、自信のなかった私の背中を押してくれた恩人』
- 著者として、晴山書店を推薦する理由
- ・その道の第一人者であることを発信できる
・社会的信用度が高まる
・講演の依頼を受けた
・本業の集客に役立つ
・周囲からの評価が随分変わる - プロフィール
- 『心を整え、人をもてなす
茶道をもっと身近に、もっと広く』を願う
一般社団法人 日本テーブル茶道協会
代表理事
神林 浩子
紹介インタビュー
神林が生まれたのは、東京下町 浅草。
時計バント卸業を経営する父方の祖父母と両親は同居。
実家には、住み込みの店員も合わせて15人くらいが暮らしていた。
姑に厳しくされ、大所帯の世話にも追われていた母にいつも怒られていた。
今思えば、ストレスのはけ口になっていたのだと思う。
浅草はお祭りが盛んなので、神輿を担いだりもした。
時計バンドを納品する車に乗せてもらったこともある。
怒られずにすんだ母親と一緒にいない時間が好きだったそうだ。
厳しく育てられた神林は、小学生になっても真面目で優等生。
学級委員を6年間務めた。
4年生からは、当時では珍しかった中学受験の準備を始めた。
それまでやってきたピアノやそろばんなどの習い事を全て辞め、塾に通うようになった。
塾は学校より楽しい場所だったらしい。
楽しませてくれる先生がいて、何より気の合う仲間が出来た。
入学したのは青山学院中等部。
そこでソフトテニス部に入った。
部活動にのめり込み、中三の時には渋谷区で3位になり、都大会にも出場した。
中学の時に、茶道との運命の出会いをする。
実家の近くにたまたま茶道教室があった。
母親に薦められて始めたのがきっかけ。
日々テニスボールを追いかけ、ワサワサしている自分に茶道は絶対必要なものだと思った。
特に大学の部活は本格的で、いつも辞めたいと思っていた。
しかし、茶道は辞めたいとは一度も思わなかった。
3年で渉外、4年で主務を務めた。
このマネジメントの経験が、仕事で多いに役立った。
就職したのは、教授に薦められた富士通。
総務庶務課の配属になった。
そこでご主人と出会い、入社3年目で寿退職をした。
15年間、どっぷり子育てに専念。
ずっと続けた茶道も一旦休止していた。
神林が茶道を再開したのは2007年。
母親が他界し、父親の介護で実家に通うようになった。
これが実家の近所にあった茶道教室に、また通うきっかけとなった。
心を整える。
やはり、自分に茶道は必要だと思った。
長年介護してきた父を見送り、子供たちが全員社会人になったのを機に、神林は立ち上がった。
今までやってきた茶道を、自分ができる方法で伝えて行こう。
なぜ通常の茶道ではなくて、テーブル茶道なのか。
神林はもっと気軽に出来る茶道を楽しめるようにしたかったそうだ。
カジュアルにはしても、茶道の精神性は絶対変えない。
400年続いている茶道のお点前は、本当によく出来ていると神林は思っている。
日本の思いあう文化を伝えたい。
四季の移ろいに共感する心を伝えたい。
テーブル茶道には、神林のそういう思いが詰まっている。
始めた当初は、知り合いを呼ぶくらいしか出来なかった。
HPを立ち上げて、徐々に多くの人に知ってもらえるようになった。
茶道は敷居が高いと感じていた人でも、気軽に始められるのが好評だった。
人の役に立てていると実感できる時が、一番幸せだと神林は言う。
そして、今ではそれを教える人を育てることにも着手している。
すでに講師として活躍している人もいて、茶道に無縁だった人が育っていく姿を見るのも楽しみの1つに加わっている。
今、神林の目は海外にも向いている。
海外から訪れる人に、是非テーブル茶道を知ってもらいたい。
足が悪くて、正座が出来ない人でも気軽に楽しんでもらいたい。
日本の心に触れてもらいたいと考えているのだ。
そのために英語の勉強にも精力的に取り組みたいと思っている。
茶道では何年もかかるお点前を、神林は出し惜しみなく伝えている。
自分と向き合い、お互いお茶を立て合う。
神林の周りには、おもてなしの心を持った人がどんどん集まっているそうだ。
茶道をもっと身近に、もっと広く。
茶道が広がると、抹茶、茶筅、和菓子といった日本の文化の底上げにもなる。
茶道人口が減っている今だからこそ、茶道から日本の伝統文化を盛り上げて行きたいと神林は願っている。
『愛を与える人になる!』と宣言することから、神林の朝は始まるそうだ。
【未来は自分の話した言葉で作られる】
ブリキの博物館で有名な北原照久のこの言葉が大好き。
目標、テーブル茶道人口20万人!
茶道から日本の伝統文化の底上げをする。
神林の言葉が、どれだけ未来を拓くのか。
今後に期待したい。